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「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」


絵画、建築、音楽、ファッション、そして歴史…様々な角度からウィーンの文化を紐解く

2019年に日本とオーストリアの外交樹立150周年を迎えることを記念して、国立新美術館(東京・六本木)と国立国際美術館(大阪・中之島)にて、「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」展が開催されます。

19世紀末から20世紀初頭にかけて、ウィーンでは、絵画や建築、工芸、デザイン、ファッションなど、それぞれの領域を超えて、新しい芸術を求める動きが盛んになり、装飾性豊かで煌びやかなウィーン独自の文化が開花しました。今日では「世紀末芸術」と呼ばれるこの時代に、画家グスタフ・クリムト(1862-1918)やエゴン・シーレ(1890-1918)、オスカー・ココシュカ(1886-1980)、建築家オットー・ヴァーグナー(1841-1918)、ヨーゼフ・ホフマン(1870-1956)、アドルフ・ロース(1870-1933)、デザイナーのコロマン・モーザー(1868-1918)など各界を代表する芸術家たちが登場し、モダン・アート、モダン・デザインの黄金期を迎えます。それは美術の分野のみならず、音楽や精神医学など多岐にわたるものでした。

本展は、ウィーンの世紀末文化を「近代化(モダニズム)への過程」という視点から紐解く新しい試みの展覧会です。これまであまり注目されることはありませんでしたが、ウィーンの世紀末文化は突如として誕生したものではありません。18世紀に蒔かれた種が19世紀末に開花・結実したものであったと言えます。18世紀の女帝マリア・テレジアの時代の啓蒙思想がビーダーマイアー時代に発展し、ウィーンのモダニズム文化の萌芽となって19世紀末の豪華絢爛な芸術運動へとつながっていったのです。

本展では、18世紀後半やビーダーマイアー時代の傑作から、世紀末芸術の代表格といえるクリムトやシーレ、ウィーン分離派、ココシュカ、オットー・ヴァーグナー、ウィーン工房、アドルフ・ロースに至るまで、油彩74点に加えて工芸やグラフィック、テキスタイルなど、東京展では約400点、大阪展で約300点というかつてない圧巻の作品群でたどります。ウィーンの豊穣な文化を知る展覧会の決定版と言えます。
ウィーン・ミュージアム (オーストリア・ウィーン)

1887年に「ウィーン市立歴史博物館」としてウィーン市の文化の中心地カールスプラッツに設立され、2003年に通称「ウィーン・ミュージアム」と改められました。 所蔵作品は、旧石器時代から20世紀中頃に至るまでのウィーン市の歴史・文化資料を含め100万点に上り、まさにウィーンの歴史と文化の壮大なアーカイブであるといえます。
美術コレクションは、約100年前にリヒテンシュタイン侯がウィーン市に寄贈した作品群を基盤とし発展してきました。 収蔵品の中でも評価が高いのは、世紀末ウィーンの美術コレクションで、400点以上のクリムトの素描と約1000点ものオットー・ヴァーグナーの肉筆デザイン画は世界随一の所蔵数を誇ります。
クリムトの油彩画やウィーン工房による一連の芸術作品も、ウィーン・ミュージアムの重要なコレクションです。



本展の見どころ


「ウィーン・モダン」展を知る3つのポイント


Point 1 ■絵画、建築、応用芸術、音楽―ウィーンの芸術文化の全容が分かる総合展■
本展では、時代を18世紀中頃にまでさかのぼり、のちのウィーン工房に影響を与えたビーダーマイアー時代の工芸や、芸術都市へと発展する起源となった都市改造計画など、ウィーン世紀末文化に至るまでの歴史背景にスポットライトを当てます。
絵画や工芸はもちろん、建築、デザイン、インテリア、ファッション、グラフィックデザインなど、当時の写真や資料、本展のために特別制作したウィーン市の変遷映像など、多様な展示品を通して、“芸術の都”ウィーンで育まれた芸術世界を網羅的にご紹介します。

Point 2 ■クリムト47点、シーレ22点、ココシュカ17点※ ウィーン世紀末の巨匠の傑作が集結■
クリムト、シーレ、ココシュカらウィーン世紀末の巨匠が遺した作品の数々を一挙、ご紹介します。
クリムトが最愛の女性を描いた《エミーリエ・フレーゲの肖像》をはじめとする油彩画に加え、素描、ポスターなどのグラフィックを通して、モダニズムの黄金時代を築いた作家たちの作品世界に深く迫ります。
また、クリムトに影響を与えた画家ハンス・マカルト(1840-1884)による、1879年の皇帝フランツ・ヨーゼフと皇后エリーザベトの銀婚式記念パレードの絵画、作曲家アルノルト・シェーンベルク(1874-1951)が描いた絵画作品なども見どころです。
※大阪展はクリムト18点、シーレ11点、ココシュカ8点。

Point 3 ■ウィーン・ミュージアムの至宝が一堂に■
ヨーロッパ有数の博物館として知られ、100万点におよぶ所蔵品でウィーンの歴史や文化を今に伝えるウィーン・ミュージアム。改修工事に伴い、同館の主要作品をまとめて公開する本展が実現します。
出展作品は、個人所蔵の作品をあわせて東京展で約400点、大阪展は約330点。歴史ある同館が誇る貴重なウィーン世紀末のコレクションをオーストリア国外で目の当たりにできる、またとない機会となります。


他にも見どころたくさん

■建築ファン必見!■
オットー・ヴァーグナーをはじめ、ウィーン分離派やモダニズム建築の貴重なデザイン画、模型を数多く展示

■インテリア・ファッション好き必見!■
ビーダーマイアー様式からウィーン工房まで、ウィーンのモダン・デザインの全貌を紹介

■音楽ファン必見!■
モーツァルト、シューベルト、シェーンベルク。 ウィーンが生んだ音楽家にまつわる展示品も多数出展

■歴史好き必見!■
女帝マリア・テレジアからウィーン世紀末まで、ハプスブルク家の栄光から終焉へと向かうまでの歴史を美術作品を通して紹介
 


幼いヨーゼフ2世を伴ったマリア・テレジア
マルティン・ファン・メイテンス《幼いヨーゼフ2世を伴ったマリア・テレジア》
1744年 油彩/カンヴァス 216.2 x 162.5 cm
ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz
第1章 啓蒙主義時代のウィーン

女帝マリア・テレジアとその息子、皇帝ヨーゼフ2世が統治した1740年代から90年代のハプスブルク帝国の首都ウィーンでは、啓蒙主義に基づいた社会の変革が行われました。理性や合理主義に基づき、社会の革新を目指す啓蒙主義の思想がウィーンに入ってきたのは、他のヨーロッパ諸国に比べ早くはありませんでしたが、この思想の熱烈な支持者であったヨーゼフ2世は、宗教の容認、死刑や農奴制の廃止、病院や孤児院の建設など、行政や法律、経済、教育においてさまざまな改革を実行しました。ウィーンは、自由な精神をもつ知識人たちを魅了し、彼らの交流の場となることで、ヨーロッパ文化の中心地へと変貌を遂げていったのです。



第2章 ビーダーマイアー時代のウィーン

ナポレオン戦争終結後の1814年には、各国の指導者たちが集まったウィーン会議が開催され、ヨーロッパの地図が再編されます。以降、1848年に革命が勃発するまでの期間は、「ビーダーマイアー」と呼ばれます。当初、家具の様式を指す言葉でしたが、やがてこの時代の生活様式全般と精神構造を表すようになりました。急激な都市化と政治的抑圧が強かったこの時代、それに対する反動として、人々の関心は「私的な領域」へ向けられます。あらゆる著作物に対し検閲が実施されるという抑圧された環境の中、画家たちがテーマとして選んだのは、日常生活やのどかで親しみやすい都市や農村の風景画でした。世紀末芸術が花開いた1900年頃のウィーンでは、ビーダーマイアーが文化の着想源として参照されました。日常生活に実用的な美を見出すビーダーマイアーは、後にモダニズムのモデルとなったのです。
3つの最も嬉しいもの
フリードリヒ・フォン・アメリング《3つの最も嬉しいもの》1838年
油彩/カンヴァス 80×80 cm
ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz



皇后エリーザベト
フランツ・ルス(父)《皇后エリーザベト》1855年
油彩/カンヴァス 81.5×58 cm
ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz
第3章 リンク通りとウィーン

皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の治世の間(1848-1916年)に、ウィーンは帝国の近代的首都へと変貌を遂げます。人口は50万人から220万人にまで増加し、世界で6番目に大きな都市となりました。近代都市への変貌は、1857年に皇帝が都市を取り囲む城壁の取り壊しを命じ、新しいウィーンの大動脈となる「リンク通り(リンクシュトラーセ)」を開通させたことに始まります。沿道には帝国の要となる建築物が次々と建設されました。
リンク通りは19世紀のウィーンの象徴であるといえます。1879年には画家ハンス・マカルト演出による皇帝夫妻の銀婚式を記念する盛大な祝賀パレードが開催されました。沿道には、古典主義様式の国会議事堂、ゴシック様式の奉献教会、ルネサンス様式の大学などさまざまな歴史主義建築の建物が立ち並び、さらに19世紀末には分離派のメンバーによる建物も建設されました。



第4章 1900年―世紀末のウィーン

カール・ルエーガーがウィーン市長として活躍した時代(1897-1910年)には、さらに都市機能が充実します。路面電車や地下鉄など公共交通機関も発展し、建築家オットー・ヴァーグナーがウィーンの都市デザイン・プロジェクトを数多く提案しました。計画のみに終わったものもありますが、今日のウィーンの街並みは、実現されたヴァーグナーの建築によって印象付けられています。
絵画の分野では、1897年にグスタフ・クリムトに率いられた若い画家たちの
グループが、オーストリア造形芸術家組合(分離派)を結成しました。
また、1903年には、工芸美術学校出身の芸術家たちを主要メンバーとして、
ウィーン工房が設立されました。分離派やウィーン工房の重要なパトロンは
ユダヤ人富裕層でした。芸術家たちの実験的な精神や妥協のない創作が、
この時代の数々の傑作を生み出したのです。



ウィーン分離派


ウィーン造形芸術家協会において、会員たちの間で意見の対立が生じ、クリムトやコロマン・モーザーら若手を中心とする約20人の芸術家たちは、1897年にウィーン分離派を結成します。名誉会長にはルドルフ・フォン・アルト、初代会長にはクリムトが選出されました。
「分離派」という名称のグループは、既に1892年にフランツ・フォン・シュトゥックを中心にミュンヘンで結成されていたもので、ウィーンでの結成の翌1898年には、ベルリンでも同様の団体が結成されています。
ウィーン分離派の主な目的は、美術市場からの独立した展覧会を開催すること、そして他国の芸術家たちとの交流を深めることにありました。分離派会館はヨーゼフ・マリア・オルブリヒによって設計され、1898年11月に開催された第2回分離派展と同時に開館しました。クリムトの《パラス・アテナ》はこの時に展示されたものです。
展示スペースと同様に重要だったのが、機関誌『ヴェル・サクルム(聖なる春)』の出版です。1898年1月に創刊し、1903年の廃刊まで毎月発行されました。
グスタフ・クリムト(1862-1918)
彫金師の父の下、ウィーン近郊のバウムガルテンに生まれる。
1876年にウィーン工芸美術学校に入学。
マカルトの象徴的な歴史画の影響を受けた。
1883年には弟エルンストと画家フランツ・フォン・マッチュと
共同で芸術的装飾の事業を立ち上げ、
ブルク劇場やウィーン美術史美術館などの壁画装飾を担当した。
1897年にウィーン分離派を結成し、初代会長となる。
第1回ウィーン分離派展ポスター
グスタフ・クリムト《第1回ウィーン分離派展ポスター》(検閲後)
1898年 カラーリトグラフ 97×70 cm
ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz


 


パラス・アテナ
グスタフ・クリムト《パラス・アテナ》1898年 油彩/カンヴァス 75×75 cm
ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

1897年に分離派を立ち上げ、初代会長を務めたクリムトは、1898年11月の新しい分離派会館の開館に際して、《パラス・アテナ》を描きました。芸術と学術の庇護者、女神パラス・アテナは、手には「ヌーダ・ヴェリタス(裸の真実)」の化身を持ち、首には恐ろしい風貌のゴルゴンを纏った姿で描かれています。
自画像
自画像
エゴン・シーレ 《自画像》 1911年 油彩/板 27.5 x 34 cm
ウィーン・ミュージアム蔵 ©Wien Museum / Foto Peter Kainz

オーストリアの表現主義者たちは、ドイツ表現主義として知られる、ベルリンの「ブリュッケ(橋)」やミュンヘンの「青騎士」のように〈集団〉としての結束力を持ちませんでした。しかし、彼らは共通して、表情や身振りの描写を通じ、描かれる人物の深い精神状態に目を向け続けてきました。シーレとココシュカは、共にクリムトから強い影響を受けましたが、新たな表現を獲得しようと自らの芸術世界に没頭しました。

シーレはわずか28年という短い生涯で、様々な形式を使って170回以上も自身の姿を遺しました。とりわけ1910年から11年にかけては、自画像が彼の作品テーマの中心となります。そのうちの一点が、この自画像です。額に深く刻まれた皺、彫りの深い目、まっすぐに伸びた指は、シーレの実際の容貌に忠実なものです。
目を凝らして見ると、頭部の左側には、人間の横顔にも似た輪郭線を持つ陶器製のポットが置かれています。こうした表現には、ポール・ゴーギャンの《黄色いキリストのある自画像》(パリ、オルセー美術館)からの影響が指摘され、シーレが象徴主義を意識していたと解釈できます。影のようにも見える横顔を絵に潜ませ、社会や自分自身に対する考えを反映させながら、シーレはヤヌスの顔として自らの姿を描いたのです。
背後には、描き始めたばかりの絵画、あるいはウィーン工房のテキスタイルを想起させる平面がいくつも描かれています。



開催概要

名称 「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」
会期 2019年4月24日(水)~8月5日(月)
※大阪へ巡回します 2019年8月27日(火)~12月8日(日) 於:国立国際美術館
会場 国立新美術館 企画展示室1E
 東京都港区六本木7-22-2
◆「乃木坂」駅…東京メトロ千代田線 青山霊園方面改札6出口(美術館直結)
◆「六本木」駅…東京メトロ日比谷線 4a出口から徒歩約5分
…都営地下鉄大江戸線 7出口から徒歩約4分
開館時間 10:00~18:00
 ※毎週 金・土曜日は、4・5・6月は20:00、7・8月は21:00まで開館、
  4月28日(日)~5月2日(木)と5月5日(日)は20:00まで開館します。
  5月25日(土)は「六本木アートナイト」開催に伴い22:00まで開館します。
 ※入場は閉館の30分前までとなります。
観覧料
    当日   前売
一般 1,600円 1,400円
大学生 1,200円 1,000円
高校生 800円 600円

※中学生以下は無料です。
※障がい者手帳をご持参の方(付添の方1名を含む)は無料となります。
チケットのお取り扱い
前売   2019年1月11日(金)~4月23日(火)
※国立新美術館は4月22日(月)まで
当日 2019年4月24日(水)~8月5日(月)

●国立新美術館
開館日のみ。企画チケットの取り扱いはありません。

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お問合せ 03-5777-8600 (ハローダイヤル)
休館日 毎週火曜日 ※ただし4月30日は開館します。
公式URL 国立新美術館HP http://www.nact.jp(外部サイトへリンク)
展覧会HP    https://artexhibition.jp/wienmodern2019/(外部サイトへリンク)
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掲載日:2019/03/26



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